道徳と不祥事
以前、あるユーチューバーが「道徳」について語っていました。
「道徳とは、組織内のルールのことです」と言っていました。
そんなことから、広辞苑で道徳の意味を調べながら考えたことをお伝えします。
みなさまの参考になれば幸いです。
道徳の意味は、広辞苑の最上位にはこのように書いてありました。
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①人の踏み行うべき道。
②ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準とし
③一般に承認されている規範の総体。
④法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。
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(※番号は私がつけました)
②に「ある社会で」とあります。
社会=組織と置き換えて考えると、
それぞれの組織の中で「③一般に承認されている規範の総体」となります。
ということは、組織が違えば、道徳が違うということです。
それぞれの組織で「①人の踏み行うべき道」が違うということです。
そのように考えると、現在、紙面を騒がせているビックモ…、ジャニ…、
ダイハ…という組織の中に、それぞれの道徳があったと考えると、
その事件が続いたことも納得ができます。
昔を考えれば、T社の不正会計、T社のデータ改ざん、M社の無資格検査など、
これらの不正が長く続いた理由が分かります。
その組織では、不正を指示し、不正に従っているのが、不正を黙っているのが道徳だからです。
(逆に、内部告発者が干される理由も分かります。道徳に反する行為になる訳ですから)
我々は、大小問わず(家庭、会社、地域、コミュニティなど)何らかの組織に所属しています。
「②成員相互間の行為」により、道徳がそれぞれに生じるわけです。
このように考えると、恐怖を感じ、絶望的になります。
ただ、道徳には暴走が起こることを前提に、
道徳が暴走したときのための対応策やルールなどを決めておくことが大切かと考えます。
思い返せば、私の家では、子どもに入学前から繰り返し言っていることがあります。
それは、「私(父)から殴られて、母が止めなかったら、警察に行きなさい。
父と母と、もう一度暮らしたかったら、警察に行って、暴力を振るわれていると言い、
体のアザを見せなさい。助けもらえるから」と、言い続けています。
子どもが今は中学3年生ですが、今も言い続けています。
理由は、今の私は、環境も良く、仕事も順調です。
余裕があるので(平時なので)、安穏と暮らすのが道徳になっています。
ただ、ある日、体を壊し、仕事がなくなり、不安定な生活になったら、
(有事の際には)子どもに八つ当たりをするかもしれません。
妻が止めていれば、まだましなのですが、
妻も精神的に不安定になり、一緒に虐待をし始めたら、
虐待することが「②我が家のという社会(組織)の③一般に承認されている規範の総体」=
=①人の踏み行うべき道=道徳となるかもしれません。
そうなったら、子どもにとっては地獄です。
会社での道徳の暴走を止めるための対応策やルールは、
コンプライアンスの徹底、社外取締役や監査法人からの監視などがそれに当たると思います。
車会社のリコール、食品会社の消費期限の改ざんなど、発表できる状況にあるのは、
それらが健全に機能している証拠で、安心できると考えられます。
しかし、悪意の第三者がいれば、それらが機能せずに、
道徳が暴走する事態になるかもしれません。
さて、みなさんの会社(組織)ではいかがでしょうか?
また、家庭ではいかがでしょうか?
平時のときに、有事の前に、道徳が暴走する前に、
暴走した場合の対応策を考えておくのが大切かと思います。
我が家では、子どもがいじめられる側だった場合の対応策、
子どもがいじめる側の場合の対応策も決めています。
それを子どもとも共有しているので、道徳の暴走を止める一助になっていると思っています。
私は、ある会社の行動指針の一つ、「信じて疑え」という言葉が好きです。
この会社では二重チェックをする際の合言葉なのですが、日常でも活用できると思っています。